主の御降誕、また新年あけましておめでとうございます。神さまが人となられた救いを祝う季節です。
布団が恋しい季節ですが、私もその中で祈ります。目覚めた瞬間と眠りに落ちる瞬間は精神的に最も無防備です。眠る前は感謝を献げ、信徒が危篤にならないように祈ります。そして目覚めたらすぐ助けを求めます。「あぁイエスさま、心が暗いです。どうかあなたを感じさせてください。」(元気なときほど祈ることは忘れます。現金なものです)
精神的に頑張っているときはいいのです。忙しく活動している日、礼拝のある日、聖書を読む日・・・。問題は精神的に頑張れないときです。朝晩に心身が弱いとき、体調が悪いとき、疲れて何も考えられないとき、怒りや憎しみに囚われるとき、悲しいことを思い出すとき、経済的な不安に圧迫されるとき、自分や人の老いや死を感じるとき、孤独を感じるとき・・・。そんなときは神さまを感じないどころか、祈る気さえ湧きません。
そんな精神状態はどうすればよいのでしょうか。それはやはり「受け容れる」しかありません。受容です。
しかし私が想うに、「受容」はこの世的な心理学を超えます。それは救いの核心に「神の受容」があるからです。神は人間となり、精神生活を含めて私たちの人間性の全て受け容れられました。それがイエスさまにおける受肉の救いであり、癒しです。
4世紀の主教ナジアンゾスのグレゴリオスはこう定義しました。
「受け容れられなかったものは癒されない」(受け取られなかったものは癒されない、とも訳される)。 そして人間の「精神(ヌース)」も受け容れられた。(書簡101・32)
ここでの「精神(ヌース)」とは、感情や理性や意志だけでなく、神を捉える霊的直感をも含む「神を感じる心の目」のことです。
イエスさまは100%人間らしい精神生活を営まれました。私たちと同じように頑張っている時もあれば、頑張りきれずに神を感じず、祈り求める気もしない暗い精神状態もあったはずです。しかしイエスさまは私たちと同じ人間的な条件の中から、同じように苦しみつつも父に祈り、父に従い、父に生かされ、そして神の光に照らされました。
それは神が人間的な精神生活をご自分のうちに受け容れられたということです。だからイエスさまに結ばれるなら、その人の精神は神に受け容れられ、癒され、変えられ、神に近づいていきます。神から離れて暗くなっている精神は、祈りと愛の実践を通して徐々に神を知り、神の存在と愛に照らされていきます。これが「神化」の教えです。
神が私たちの暗い心を受け容れ、癒し、変容させてくださる。この神の受容は私たちの自己受容を通して起こります。神を感じられない精神状態を「まぁよい。このままでよい」と主に委ねて受け容れるとき、神もまた私自身を受け容れてくださいます。「まぁよい、そのままのあなたでよい。私があなたを受け容れた。そして十字架に至るまであなたの違反と病いを担った。それはあなたを癒し、あなたを変えるためなんだよ。」そう言ってくださるのです。(同書簡60、イザヤ53・4)
「安心して」神さまを感じられずに暗くなっていましょう(笑)。そんな暗い精神状態をも神さまは必ず受け容れて癒してくださいます。
司祭ヨハネ荒木太一

