「たまたま家族が教会の信徒やし」「兄妹も受けてるし」「牧師がすすめるし」・・・。きっかけはそれで十分です。神さまは家族をとおして働かれます。
それでもまぁ、あなたは堅信を受けることにしました。その日はイエスさまから代々続く「主教」さんが頭に手を置いて祈ってくれます。聖霊を与えてくださいます。聖霊とはイエスさまの心のことです。だから聖霊が働くとき、どんなに離れていてもイエスさまが心のなかに来てくれます。
ひとつだけ、とくにこれからの人生でしんどいとき、思い出してください。それは、どんなときも「イエスさまは共にいてくれる」ということです。(クリスマスの聖書では「神は私たちと共にいます」マタイ第1章23節です)これさえ信じていれば必ずなんとか生きていけます。
「神さま」や「イエスさま」なんて日常生活では言いませんよね。でも私たちが意識しないだけで、イエスさまはずっと共にいてくださっています。朝起きた瞬間から、登校、授業中、休み時間、部活、放課後、友達と過ごす時間、塾、お出かけ、食卓、夜眠る前、夢の中でも、すべての時間ですぐ隣にいてくださっています。
そしてどんな気持ちのときも、イエスさまは共にいてくださいます。中年の私は若いあなたの気持ちを想像します。元気とやる気、喜びと楽しみに満ちているとき、イエスさまはもちろん共にいて、共に喜び、共に頑張り、共に楽しんでおられます。イエスさまはあなたの心のなかの親友です。
だから悩むときも必ず共にいてくださいます。成績が上がらない、将来何になりたいか分からない、グループ間でこじれてしまった、友だちとの関係が切れてしまった、いじめの渦中にいる、見た目が気になる、友だちの言葉に傷つく、人にどう思われているか気になる、学校に行きたくない、消えたい、ひょっとして、誰にも言えないけど、死にたくなる・・・。
人は何歳になっても悩みは尽きません。そんなとき、ひと言「イエスさま」と呼びかければ、それまでずっと共にいてくれていたイエスさまが、もっと近くにご自分を感じさせてくださいます。そして心のうちをひとつずつ言葉で打ち明ければ、いろんな素敵な言葉を返してくださいます。「ここにいるよ」「ずっと一緒にいたよ」「あなたがそう思ってるの、知ってるよ」「だいじょうぶ」「あなたが好きだよ。」そんなイエスさまとの会話が「祈り」です。
イエスさまが共にいてくださる。だから何ができても、できなくても、人によく思われても思われなくても、充実していても死にたくなっても、あなたの価値は「生きていること自体」にあります。だってイエスさまがあなたと共に生きておられるのだから。
そして進学や就職、恋愛や結婚、ここぞという人生の出番が回ってきます。そのときもイエスさまは共にいてくださいます。あなたを守り祝福してくださいます。共に生きてくださいます。生きる喜びも悲しみも、成功も失敗も、夢も絶望も、元気も病気も。共に。
イエスさまが共にいる。あなたの堅信が、この幸せな信仰生活の始まりとなりますように。
